2022
Dec
25
0
壁当て
壁当てから始めようと思った。
休職になってから、雨の日以外は壁当てと素振りを実施している。
43歳だ。あまり無理は出来ない。すぐに怪我をする。
ヨシキは一日中ピアノの練習してたな。
バイオリンの世界チャンピオンになった日本人の人も一日中ストラティバリウスを弾いてた。
音楽家は得てして超ストイックだ。
アスリートはって言うと、まあ練習量は半端ないわけだが一日中は出来ない。
オーバーワークで怪我をする。
ピアノとバイオリンも腱鞘炎とかはあるだろうけど、スポーツはやりすぎれば断裂や骨折になるから、やっぱり一日中ってわけにはいかない。
今の私の場合で行くと50球で怪我。だから40球を毎日やる。
素振りも久々だから1日30回からだ。
張り切って100回とかやったら最後。肘と手首はぶっ壊れる。
だんだんと体を作るのだ。
10年ぶりの壁当てで、全力で投げられるのは20球程度。
一週間たち肩肘が慣れてきた。
今日からは60球、60回は出来そうだ。
ひとつだけ問題がある。
壁に看板がある。
「壁当てをしないでください」
20代の私なら、うるせえよってフルシカトで壁を壊してやるぐらいの勢いでやっただろう。
もちろん注意されても逆切れしてやってた。
しかし今は43歳、バカはやっちゃいけないと思う自分がいる。
もちろん20代でも立派な大人なのだが、どこか許される感じはないだろうか。
43歳はさすがに「なにやってんの?」と白けた目で言われる虚しさ。
笑い話にもならない。頭のおかしいおじさんになる。
43歳で壁当ての自主練をガチでやってる時点で、だいぶ頭がおかしいおっさんだという目で見られているだろう。
知ってる。しかしそれは気にしない。何もかも他人の目で動いていたら何もできない。
誰かに迷惑をかけてなければ、やりたいことをしようと思う。
少なからず「壁当てをしないでください」の看板には誰かのやめてくれがあることはわかる。
迷惑してる人がいますよってことだ。
若い時は関係ねえで行けたが、43歳になった今は、少し看板を立てた人のことを考えてしまうのだ。
色んな考えで自分を大人にしていき、簡単に切れなくなることが大人だと思った。
その結果、私は切れることをやめて、ただ怒られることに耐えて適応障害だ。
居酒屋で仲間に言われた。
「らしくねえな。お前が耐えるとかって」
確かにと、うなずきながら変わった自分を俯瞰した。
なぜ耐えたのかを考えて仲間に返答した。
「きっと俺は、もっと上に行きたかったんだ。だから逆らっちゃいけない人には逆らわないで、はいわかりました。すいませんが正解だと思ったんだろうな・・・。でもこれ以上、上に行かないのがわかってたら、もっと自由にやったかもな。もう遅いけどさ」
そんな呪縛の一つだろうか?
「壁当てはしないでください」と書いてある看板を目にしながら自由に壁当てが出来ない。
平日の人がいない昼間を狙って、こっそり壁当てをしている。
誰かが来たら、すぐに素振りに切り替える。
しかしこれも長くは続かない。きっと誰かが見ていてチクられて注意を受ける。
もちろん43歳にもなって逆切れは出来ない。
謝ると思う。
その前に何とかしておきたい。
そこで見つけたのが壁当てネットだ。
ゴロもフライも出来るらしい。
下にぶつければフライ。上にぶつければゴロ。
幅も取らない。
折り畳みが出来る。
車に乗っけて運ぶことも可能だ。
これを公園に持っていって練習ならば誰にも文句は言われまい。
壁当てネットだから壁当ての音でうるさいなんてことも言われない。
しかし生きづらい世の中になったな。
だけどそこから新しいものを生み出して、壁よりも良いものを作る企業は凄いな。
もうこれ以上何すんだよってところから、ちゃんと新しい何かを作る人たち。
私には出来なかったことだけど、生み出す人はちゃんと生み出す。
値段は9000円と高いんだけど、毎日使うこと、車に乗せておけばどこでもできること。それこそ会社帰りでもスペースがあるところなら練習が出来ることを考えたら買おうと思った。
人は新しいことをやると幸福感が増すそうだ。
1年間があっという間に感じる人は、実は新しいことをしていない。
脳を使わないと時間は短く感じる。
やりたいことをやろう。
行きたいところに行こう。
やったことないことをやろう。
わくわくしながら壁当てネットを待とうじゃないか。
休職になってから、雨の日以外は壁当てと素振りを実施している。
43歳だ。あまり無理は出来ない。すぐに怪我をする。
ヨシキは一日中ピアノの練習してたな。
バイオリンの世界チャンピオンになった日本人の人も一日中ストラティバリウスを弾いてた。
音楽家は得てして超ストイックだ。
アスリートはって言うと、まあ練習量は半端ないわけだが一日中は出来ない。
オーバーワークで怪我をする。
ピアノとバイオリンも腱鞘炎とかはあるだろうけど、スポーツはやりすぎれば断裂や骨折になるから、やっぱり一日中ってわけにはいかない。
今の私の場合で行くと50球で怪我。だから40球を毎日やる。
素振りも久々だから1日30回からだ。
張り切って100回とかやったら最後。肘と手首はぶっ壊れる。
だんだんと体を作るのだ。
10年ぶりの壁当てで、全力で投げられるのは20球程度。
一週間たち肩肘が慣れてきた。
今日からは60球、60回は出来そうだ。
ひとつだけ問題がある。
壁に看板がある。
「壁当てをしないでください」
20代の私なら、うるせえよってフルシカトで壁を壊してやるぐらいの勢いでやっただろう。
もちろん注意されても逆切れしてやってた。
しかし今は43歳、バカはやっちゃいけないと思う自分がいる。
もちろん20代でも立派な大人なのだが、どこか許される感じはないだろうか。
43歳はさすがに「なにやってんの?」と白けた目で言われる虚しさ。
笑い話にもならない。頭のおかしいおじさんになる。
43歳で壁当ての自主練をガチでやってる時点で、だいぶ頭がおかしいおっさんだという目で見られているだろう。
知ってる。しかしそれは気にしない。何もかも他人の目で動いていたら何もできない。
誰かに迷惑をかけてなければ、やりたいことをしようと思う。
少なからず「壁当てをしないでください」の看板には誰かのやめてくれがあることはわかる。
迷惑してる人がいますよってことだ。
若い時は関係ねえで行けたが、43歳になった今は、少し看板を立てた人のことを考えてしまうのだ。
色んな考えで自分を大人にしていき、簡単に切れなくなることが大人だと思った。
その結果、私は切れることをやめて、ただ怒られることに耐えて適応障害だ。
居酒屋で仲間に言われた。
「らしくねえな。お前が耐えるとかって」
確かにと、うなずきながら変わった自分を俯瞰した。
なぜ耐えたのかを考えて仲間に返答した。
「きっと俺は、もっと上に行きたかったんだ。だから逆らっちゃいけない人には逆らわないで、はいわかりました。すいませんが正解だと思ったんだろうな・・・。でもこれ以上、上に行かないのがわかってたら、もっと自由にやったかもな。もう遅いけどさ」
そんな呪縛の一つだろうか?
「壁当てはしないでください」と書いてある看板を目にしながら自由に壁当てが出来ない。
平日の人がいない昼間を狙って、こっそり壁当てをしている。
誰かが来たら、すぐに素振りに切り替える。
しかしこれも長くは続かない。きっと誰かが見ていてチクられて注意を受ける。
もちろん43歳にもなって逆切れは出来ない。
謝ると思う。
その前に何とかしておきたい。
そこで見つけたのが壁当てネットだ。
ゴロもフライも出来るらしい。
下にぶつければフライ。上にぶつければゴロ。
幅も取らない。
折り畳みが出来る。
車に乗っけて運ぶことも可能だ。
これを公園に持っていって練習ならば誰にも文句は言われまい。
壁当てネットだから壁当ての音でうるさいなんてことも言われない。
しかし生きづらい世の中になったな。
だけどそこから新しいものを生み出して、壁よりも良いものを作る企業は凄いな。
もうこれ以上何すんだよってところから、ちゃんと新しい何かを作る人たち。
私には出来なかったことだけど、生み出す人はちゃんと生み出す。
値段は9000円と高いんだけど、毎日使うこと、車に乗せておけばどこでもできること。それこそ会社帰りでもスペースがあるところなら練習が出来ることを考えたら買おうと思った。
人は新しいことをやると幸福感が増すそうだ。
1年間があっという間に感じる人は、実は新しいことをしていない。
脳を使わないと時間は短く感じる。
やりたいことをやろう。
行きたいところに行こう。
やったことないことをやろう。
わくわくしながら壁当てネットを待とうじゃないか。