2023
Apr
23
0
経験
10代の時は恋だった。
20代では恋と遊び。
結婚もあるだろう。
30代から子供との日々、家族、仕事。
40代、仕事・・・。
それぞれの分岐点で中心となることがある。
今あげたのは、一般的な生き方をする人たちの話。
多少特殊な人もいる。
しかし世の悩み事って言ったら人間関係、お金、仕事、健康のどれかだ。
凡人の私も例外ではない。
お金に悩み、良い資格を取って収入を増やしたいと思っている。
十分にもらっているのに足りないのだ。
仕事でも適応障害になり復帰。
復帰したのも根本を言ってしまえば金のなのだ。
やらなきゃ金が入らない。
成功者は言う。好きなことをしよう。
自分のやりたいことをしようと言う。
成功してない我々には、それが出来ないのだ。
成功者はそのマインドがいけないと言う。
バカかよ?
地元の野球部で指導者は素人の先生。
全員60キロほどの体重、体格の公立高校。
出来る!甲子園に行こう!
きちがい9人の出来上がりだよ。
初戦でコールド負けしてリアルを知る。
好きなことをやるには制限があるってことだ。
立ち位置を知れ。
自分がどこにいるか?
いる場所から何が出来るかなのだ。
優勝できなかった者。
2位以下は、この世界では敗者。
敗者はやりたくないことを我慢してやり、また逆転を目指す。
一部の成功者に許された、やりたいようにやる。
敗者が好きなことをやっても稼げない。
明日の生活は保証されない。
でも私たちは、それでも生きていく。
すべてをあきらめたら、むなしいのだ。
もがいてやる。
好きなこと、やりたいことだけをやれる人生を目指すんじゃないだろうか。
一発逆転で宝くじを買うのも立派なもがきだ。
当たらず現実に戻され、また仕事する。
たまには休む。
人生をつまらなくしないために色々な挑戦をする。
ボランティアで今やってる仕事するかって聞かれたらやらない。
でも不思議だ。被災地を経験した人は得てしてボランティアをするそうだ。
自分が苦しい時に助けてもらったことが忘れられない。
あの時は嬉しかった。
だから自分も与えたい。
その時のつらさを知ってるから寄り添いたい。
「大丈夫、がんばれ」って応援したい。
きっとよくなるからって励ましてやりたい。
経験が金を越える。
人が効率や利益を考えない行動を取る。
経験なくしては気づけないのだ。
私自身も経験によって得たものがある。
適応障害になった。
雑魚の病気。
仕事が出来ない人の残念な病気という位置づけをしてきた。
だから今まではわからなかった。
でも今はわかる。
雑魚とかは関係ない。
ほとんどの人が雑魚だったという事実があるだけ。
私の部下が「動悸がする」と言って休みをくれと言ってきた。
時期や状態を聞いて、配置転換して通用しない日々が原因だとすぐわかった。
実際、怒られてもいた。
私からも注意をしようと思っていた。
しかし本人は限界だった。
本人なりにベストを尽くして、この結果だった。
すぐに環境を整えて休まなくても済むようにした。
「1週間でいい。この環境でやってみてくれ。楽になったら休む必要はない。これでも辛ければ休むといい」
配置を元の場所に戻し、怒った人からは会わないようにした。
他の部下には、甘えだと悟られないように、お酒の飲みすぎと不摂生を理由にした。
病院通いで検査が増えるため配置を戻すと伝えた。
頑張る人の多くが、逃げることは甘えだと思ってる。
みんなやってるのに自分だけできない。
これは出来なきゃいけない。
出来ずにギブアップは許されないと思ってる。
私は戻ったが、戻らなくてもいいのだ。
出来ることをすればいい。
必要とされるところは誰にでもある。
私は適応障害になってよかったとまでは言わない。
でも適応障害になったことで弱い人の気持ちを知った。
被災地にボランティアに行く人と同じように、寄り添える人になれた。
「気づいてやれなくて、申し訳ありません。すいませんでした」と部下に告げた。
私には家族がいる。
家族も悲しんだ。
辞めてもいいと言われた。
親戚の感受性の強い子には泣かれた。
この部下にも家族がいる。
奥さんはどう思うだろう。
一人娘は大学生だ。
まだまだ金もかかるのにつぶれてる場合じゃないのにな。
すべて知っている。
経験が教えてくれた。
気づくのが遅くなったのは、今でも申し訳ないと思っている。
しかし、誰よりも早く対処できた。
経験が部下1人を助けることが出来た。
病気になった経験がよかったとまでは言わない。
でも私も少し救われた。
このまま何事もなく仕事に戻ってくれれば、部下の家族は悲しまなくてすむ。
私みたいに苦しむ奴は出ない方がいいに決まってる。
怒った人も、少し気にしていた。
そりゃ薄々、気がつくよ。
怒った部下にも伝えた。
「気にしなくていい。怒りたくなるぐらい仕事量はあった。
お前に余力をなくさせたのは俺だから俺が悪い。
気にしてお前まで病んだらそれこそ大変だ。
大丈夫だから。」
これからも頼むよと伝えた。
続く。
20代では恋と遊び。
結婚もあるだろう。
30代から子供との日々、家族、仕事。
40代、仕事・・・。
それぞれの分岐点で中心となることがある。
今あげたのは、一般的な生き方をする人たちの話。
多少特殊な人もいる。
しかし世の悩み事って言ったら人間関係、お金、仕事、健康のどれかだ。
凡人の私も例外ではない。
お金に悩み、良い資格を取って収入を増やしたいと思っている。
十分にもらっているのに足りないのだ。
仕事でも適応障害になり復帰。
復帰したのも根本を言ってしまえば金のなのだ。
やらなきゃ金が入らない。
成功者は言う。好きなことをしよう。
自分のやりたいことをしようと言う。
成功してない我々には、それが出来ないのだ。
成功者はそのマインドがいけないと言う。
バカかよ?
地元の野球部で指導者は素人の先生。
全員60キロほどの体重、体格の公立高校。
出来る!甲子園に行こう!
きちがい9人の出来上がりだよ。
初戦でコールド負けしてリアルを知る。
好きなことをやるには制限があるってことだ。
立ち位置を知れ。
自分がどこにいるか?
いる場所から何が出来るかなのだ。
優勝できなかった者。
2位以下は、この世界では敗者。
敗者はやりたくないことを我慢してやり、また逆転を目指す。
一部の成功者に許された、やりたいようにやる。
敗者が好きなことをやっても稼げない。
明日の生活は保証されない。
でも私たちは、それでも生きていく。
すべてをあきらめたら、むなしいのだ。
もがいてやる。
好きなこと、やりたいことだけをやれる人生を目指すんじゃないだろうか。
一発逆転で宝くじを買うのも立派なもがきだ。
当たらず現実に戻され、また仕事する。
たまには休む。
人生をつまらなくしないために色々な挑戦をする。
ボランティアで今やってる仕事するかって聞かれたらやらない。
でも不思議だ。被災地を経験した人は得てしてボランティアをするそうだ。
自分が苦しい時に助けてもらったことが忘れられない。
あの時は嬉しかった。
だから自分も与えたい。
その時のつらさを知ってるから寄り添いたい。
「大丈夫、がんばれ」って応援したい。
きっとよくなるからって励ましてやりたい。
経験が金を越える。
人が効率や利益を考えない行動を取る。
経験なくしては気づけないのだ。
私自身も経験によって得たものがある。
適応障害になった。
雑魚の病気。
仕事が出来ない人の残念な病気という位置づけをしてきた。
だから今まではわからなかった。
でも今はわかる。
雑魚とかは関係ない。
ほとんどの人が雑魚だったという事実があるだけ。
私の部下が「動悸がする」と言って休みをくれと言ってきた。
時期や状態を聞いて、配置転換して通用しない日々が原因だとすぐわかった。
実際、怒られてもいた。
私からも注意をしようと思っていた。
しかし本人は限界だった。
本人なりにベストを尽くして、この結果だった。
すぐに環境を整えて休まなくても済むようにした。
「1週間でいい。この環境でやってみてくれ。楽になったら休む必要はない。これでも辛ければ休むといい」
配置を元の場所に戻し、怒った人からは会わないようにした。
他の部下には、甘えだと悟られないように、お酒の飲みすぎと不摂生を理由にした。
病院通いで検査が増えるため配置を戻すと伝えた。
頑張る人の多くが、逃げることは甘えだと思ってる。
みんなやってるのに自分だけできない。
これは出来なきゃいけない。
出来ずにギブアップは許されないと思ってる。
私は戻ったが、戻らなくてもいいのだ。
出来ることをすればいい。
必要とされるところは誰にでもある。
私は適応障害になってよかったとまでは言わない。
でも適応障害になったことで弱い人の気持ちを知った。
被災地にボランティアに行く人と同じように、寄り添える人になれた。
「気づいてやれなくて、申し訳ありません。すいませんでした」と部下に告げた。
私には家族がいる。
家族も悲しんだ。
辞めてもいいと言われた。
親戚の感受性の強い子には泣かれた。
この部下にも家族がいる。
奥さんはどう思うだろう。
一人娘は大学生だ。
まだまだ金もかかるのにつぶれてる場合じゃないのにな。
すべて知っている。
経験が教えてくれた。
気づくのが遅くなったのは、今でも申し訳ないと思っている。
しかし、誰よりも早く対処できた。
経験が部下1人を助けることが出来た。
病気になった経験がよかったとまでは言わない。
でも私も少し救われた。
このまま何事もなく仕事に戻ってくれれば、部下の家族は悲しまなくてすむ。
私みたいに苦しむ奴は出ない方がいいに決まってる。
怒った人も、少し気にしていた。
そりゃ薄々、気がつくよ。
怒った部下にも伝えた。
「気にしなくていい。怒りたくなるぐらい仕事量はあった。
お前に余力をなくさせたのは俺だから俺が悪い。
気にしてお前まで病んだらそれこそ大変だ。
大丈夫だから。」
これからも頼むよと伝えた。
続く。