2013
Jun
09
6
きつい、つらいは・・・
自分の中でつらいこと。
きついこと。
どうしてこんなことになる。
どうして俺はこんな目に合う。
これは全部錯覚です・・・・
きついこと。
どうしてこんなことになる。
どうして俺はこんな目に合う。
これは全部錯覚です・・・・
簡単に言えばそんなことは起こっていないのです。
例えば草刈りをしているお父さんに息子が「ねえ、ねえ、お父さん!」と
話しかけに行ったとする。
そのとき、おとうさんに「あぶねえだろ!近寄るんじゃねえ!」と言われて
僕はお父さんに嫌われている。愛されてない。どうだっていいんだとなってしまう。
もう一つの家族で、お父さんに「近寄るんじゃねえ」と言われて
愛されてる!僕はなんて愛されてるんだ。いつも僕を心配して大事にしてくれる・・・・・・
っていう人もいるんです。
傷ついたり、つらいことって自分でつかんで自分の心にグサッグサッと刺しているわけです。
自分を傷つけて、つらい状況に持っていくのは、やめろと言った監督でもなければ、
打てない結果でもない。
その現象をつらいというナイフにして自分の心に突き刺した自分です。
自分の人生をつらくするのは、誰でもなくて自分なのです。
アフリカの靴屋・・・
よくある自己啓発の話です。
だけど私はこの話をお釈迦様の色即是空の例にとらえています。
色即是空はあとで説明します。
まず靴屋の話。
二人の靴屋がいた。
一人目の靴屋はアフリカに着いて、人々が誰一人靴を履いていないのを見て
「ここでは靴が売れない・・・」
と、がっかりして帰った。
二人目の靴屋が来て、靴を履いていない人々を見てこう言った。
「ここには無限の市場がある。やったぞ」
そこにすぐ、靴屋をひらいた。
起こっていることは同じなんです。
それをどう、とらえて自分の心に届けるか?
現象は常にゼロです。
わたしたちに平等で、いつもフラットです。
私はいつもこう言う。
不幸な人は望んで不幸でいる。
あの上司と飲みに行きたくないと愚痴って飲みに行っている人は、実は望んで飲みに行っている。
その上司が、好きで好きでたまらないようにしか見えない。
意識は嫌でも潜在意識はそうとらえてないことが、よくわかる。
色即是空・・・
2500年前にお釈迦様がどうしても後世に残したかったと言われる言葉です。
色即是空(しきそくぜくう)。
色(しき)、これ即ち空(くう)なり。
私たちは勝手にゼロ現象に意味づけ(色)をつけます。
ただこれはゼロ(空)なんです。
私たちには思考があり、必ず現象に色をつけてしまいます。
でもそれは外部から起こったことではない。
自分に降りかかった災難でもない。
自分の内側から、なぜ俺はこんなについていないのか?と決めていることに気がついておくこと。
十人十色・・・これもいい言葉です。
現象は同じでもそれは色々な色となりその人の前にきます。
私たちは、その現象にこう感じる自分は正当だと思っています。
この感じ方は世界でこの1色しかないと思い、私は不幸だと苦しむのです。
残念ながらすべてが空。
なにも起こっていない。
どう色をつけるかは、あなたの自由なのです。
あなたの人生、環境はどうにでも変えられる。
色の付け方を変えるだけ。
ポジティブにとらえる・・・
このように言うと、「わかりました。ポジティブにとらえればいいんですね」と言う方がいます。
それも違います。
ポジティブにとらえようとした瞬間、あなたは嫌なこととして、とらえているじゃないですか。
ゼロなんです。
嫌なこととして、とらえる必要がないのです。
1度マイナスにとらえて戻ってポジティブに変化させる。
それは、我慢であり強がりで苦しみです。
二人目の靴屋は、靴を履いていない人々を見た瞬間、やったぞとなった。
これでいい。
1回だめだと思って、でも靴を履いてないなら売れるかもしれないとなる必要がまったくない。
私はプラス、マイナス。前向き、後ろ向きの話をしてるのではありません。
色をつけるなら幸せでいい。
自由に色をつけていい。
怒りや悲しみを感じてしまった自分がいたら感じて感じて感じきったら、そっと離す。
これだけです。
この心を握ったのは自分だから。
離れたら幸せな今しかないのです。
どうしますか?・・・
私なら、野球をします。結論これだけ。
どこに行けばいいんでしょう?
私を受け入れてくれる仲間がいるグランドへ行けばいい。
ここはポジティブでもなく、ただ淡々とそこに行き、それをする。
この場合ですとグランドへ行き野球をするということになります。
今日は草野球1回戦でした。
10対0でボコボコにやられました。
かつての優勝チームの見る影もなく2年連続初戦敗退です。
エース様もいない。
私も腰痛で登板を控えています。
そんな言い訳もたくさんありますが10対0。
ここで私はどう思うか?
単純に「あっそうですか、わかりました」です。
感想をいうなら、私よりも上手い人がいっぱいいるな~ってぐらいでしょうか。
私は来週も野球をします。
来週はヒットを打ってもっと楽しくしよう。
そのままでも楽しいけど、もっと楽しくなればいい。
さて素振りだ。
アドバイス・・・
せっかくなんで、新しいチームを探されて草野球して、私たちと打った打てないと
話しませんか?
これを言うために、長い記事となりました(笑)
やるやらないは自由です。
不幸、幸せを選ぶのも自由。
野球をするのが幸せだと色をつけるのなら、やればいいのです。
下を向く時間はありません。
これまでのことは終了。
今、幸せでいよう。
私がおススメする心の置き方です。
ありがとうございました。
例えば草刈りをしているお父さんに息子が「ねえ、ねえ、お父さん!」と
話しかけに行ったとする。
そのとき、おとうさんに「あぶねえだろ!近寄るんじゃねえ!」と言われて
僕はお父さんに嫌われている。愛されてない。どうだっていいんだとなってしまう。
もう一つの家族で、お父さんに「近寄るんじゃねえ」と言われて
愛されてる!僕はなんて愛されてるんだ。いつも僕を心配して大事にしてくれる・・・・・・
っていう人もいるんです。
傷ついたり、つらいことって自分でつかんで自分の心にグサッグサッと刺しているわけです。
自分を傷つけて、つらい状況に持っていくのは、やめろと言った監督でもなければ、
打てない結果でもない。
その現象をつらいというナイフにして自分の心に突き刺した自分です。
自分の人生をつらくするのは、誰でもなくて自分なのです。
アフリカの靴屋・・・
よくある自己啓発の話です。
だけど私はこの話をお釈迦様の色即是空の例にとらえています。
色即是空はあとで説明します。
まず靴屋の話。
二人の靴屋がいた。
一人目の靴屋はアフリカに着いて、人々が誰一人靴を履いていないのを見て
「ここでは靴が売れない・・・」
と、がっかりして帰った。
二人目の靴屋が来て、靴を履いていない人々を見てこう言った。
「ここには無限の市場がある。やったぞ」
そこにすぐ、靴屋をひらいた。
起こっていることは同じなんです。
それをどう、とらえて自分の心に届けるか?
現象は常にゼロです。
わたしたちに平等で、いつもフラットです。
私はいつもこう言う。
不幸な人は望んで不幸でいる。
あの上司と飲みに行きたくないと愚痴って飲みに行っている人は、実は望んで飲みに行っている。
その上司が、好きで好きでたまらないようにしか見えない。
意識は嫌でも潜在意識はそうとらえてないことが、よくわかる。
色即是空・・・
2500年前にお釈迦様がどうしても後世に残したかったと言われる言葉です。
色即是空(しきそくぜくう)。
色(しき)、これ即ち空(くう)なり。
私たちは勝手にゼロ現象に意味づけ(色)をつけます。
ただこれはゼロ(空)なんです。
私たちには思考があり、必ず現象に色をつけてしまいます。
でもそれは外部から起こったことではない。
自分に降りかかった災難でもない。
自分の内側から、なぜ俺はこんなについていないのか?と決めていることに気がついておくこと。
十人十色・・・これもいい言葉です。
現象は同じでもそれは色々な色となりその人の前にきます。
私たちは、その現象にこう感じる自分は正当だと思っています。
この感じ方は世界でこの1色しかないと思い、私は不幸だと苦しむのです。
残念ながらすべてが空。
なにも起こっていない。
どう色をつけるかは、あなたの自由なのです。
あなたの人生、環境はどうにでも変えられる。
色の付け方を変えるだけ。
ポジティブにとらえる・・・
このように言うと、「わかりました。ポジティブにとらえればいいんですね」と言う方がいます。
それも違います。
ポジティブにとらえようとした瞬間、あなたは嫌なこととして、とらえているじゃないですか。
ゼロなんです。
嫌なこととして、とらえる必要がないのです。
1度マイナスにとらえて戻ってポジティブに変化させる。
それは、我慢であり強がりで苦しみです。
二人目の靴屋は、靴を履いていない人々を見た瞬間、やったぞとなった。
これでいい。
1回だめだと思って、でも靴を履いてないなら売れるかもしれないとなる必要がまったくない。
私はプラス、マイナス。前向き、後ろ向きの話をしてるのではありません。
色をつけるなら幸せでいい。
自由に色をつけていい。
怒りや悲しみを感じてしまった自分がいたら感じて感じて感じきったら、そっと離す。
これだけです。
この心を握ったのは自分だから。
離れたら幸せな今しかないのです。
どうしますか?・・・
私なら、野球をします。結論これだけ。
どこに行けばいいんでしょう?
私を受け入れてくれる仲間がいるグランドへ行けばいい。
ここはポジティブでもなく、ただ淡々とそこに行き、それをする。
この場合ですとグランドへ行き野球をするということになります。
今日は草野球1回戦でした。
10対0でボコボコにやられました。
かつての優勝チームの見る影もなく2年連続初戦敗退です。
エース様もいない。
私も腰痛で登板を控えています。
そんな言い訳もたくさんありますが10対0。
ここで私はどう思うか?
単純に「あっそうですか、わかりました」です。
感想をいうなら、私よりも上手い人がいっぱいいるな~ってぐらいでしょうか。
私は来週も野球をします。
来週はヒットを打ってもっと楽しくしよう。
そのままでも楽しいけど、もっと楽しくなればいい。
さて素振りだ。
アドバイス・・・
せっかくなんで、新しいチームを探されて草野球して、私たちと打った打てないと
話しませんか?
これを言うために、長い記事となりました(笑)
やるやらないは自由です。
不幸、幸せを選ぶのも自由。
野球をするのが幸せだと色をつけるのなら、やればいいのです。
下を向く時間はありません。
これまでのことは終了。
今、幸せでいよう。
私がおススメする心の置き方です。
ありがとうございました。