2013
Jun
19
7
50の引き受け方
この世界は幸せ50、苦しみ50で成り立ってますよって話をしました。
「誰かが受け持つ」に50対50の法則は、詳しく書いていますので興味のある方は見てください。
この50を私たちは80にも90にもして私はついてないと嘆き、苦しむのです。
多めに苦しみを引き受けてしまう私たちは、ここを・・・・・
「誰かが受け持つ」に50対50の法則は、詳しく書いていますので興味のある方は見てください。
この50を私たちは80にも90にもして私はついてないと嘆き、苦しむのです。
多めに苦しみを引き受けてしまう私たちは、ここを・・・・・
50で引き受けて残り50の幸せを感じてもらいたい。
例えばがんの宣告を受けた人は100対0。
交通事故も100対0。
普通に働くサラリーマンのあなたでも80対20で生きている。
この20の幸せが金、土の居酒屋と言ったところでしょうか?
ここから家族の問題をかかえる人はもう大変。
120対0・・・・もう法則もくそもない。
私の会社には、苦しみ5000じゃないかという人もいます(笑)
この50から上。
60、70、80の部分が霧。
本当はすぐそばにある幸せ50が見えていない状態です。
俺は幸せ10しかない・・・こんな人に「50、ほら50あるよ」っていうのが私です。
超バランス・・・
どうして苦しみ50なのか?
簡単に言えば、カミナリに打たれないように上ばかり気にしていたら、穴に落ちた。
つまずかないように下を見て歩いていたら目の前の電柱にぶつかった。
もうどうあがいても無理。どう気をつけてもこうなってしまう。
人の場合だと嫁のお母さんに文句を言われた。
何とかしたいと嫁のお母さんの問題を解決する。
簡単に言えば、あなたは嫁のお母さんから100点を取った。
そうすると今まで100点をもらっていたはずの嫁のお父さんが、今のお前は60点だから40点補えと
新しく文句言う。
今度あなたはお父さん、お母さんから100点取るために頑張り100点取った。
これで解決かと思ったら、嫁から「私と両親どっちが大切なの?」・・・なんてことになる。
嫁から30点と言われたので、点数を稼いでいると上司から「最近やる気ないぞ」とくる。
友人からは「自分のことしか考えてない」と言われたりする。
全員から100点を取ることが無理なのに取れないことに悩む。
幸せ100を目指すけど、そうならないじゃいかと苦しむのです。
無理!
だから50を引き受ける。
そうするとちょうどいい。
この悩みでいいやとする。
これを解決しても同じような問題が出るならば、今のこの問題、この苦しみでいい。
これを50として引き受けましょう。
解決をあきらめよう
また書いてしまいました。解決するなって(冷や汗)
私の場合ですと嫁と仲良くいたい。
子供とも愛し愛されという関係がいい。
野球も楽しくやりたい。
だから会社でなにか問題があることは、それをOKとしています。
上司、部下の間でいろいろなストレスがあっても、それはOK。
出荷対応で追われて怒られても、ここを50として引き受けています。
幸せは不幸せがないと存在しない・・・
のどがカラカラになるからコーラがうまい。
毎日、小さな浴槽の風呂に入っているから年1回の温泉が気持ちいい。
仕事をしたから、そのあとのビールがうまい。
練習を重ねたから勝利が嬉しい。
必ずバランス。ここが平行なんです。
もっといきます。
幸せもやがて不幸せに変わる。
ビールの1杯目が幸せで、これが3杯、4杯、5杯、6杯となれば気持ち悪くなる。
スイーツを口にして幸せだった。これがずっと続けば苦しみです。甘いものは見たくないとなる。
布団に入って幸せ。そこから寝すぎて睡眠15時間になったら体が痛くて不幸せ。
あんなに疲れて横になりたいと言って横になったのに、それがつらいから起きたいとなる。
わかりますか?
苦しみは引き受けていいのです。
といよりは、必ずあると考えてください。
これでもう大丈夫。悩みはなくなったと思っていても何もない状態が苦しみになる。
50以上で引き受けない・・・
実際は50しかありません。
私たちは心で勝手に60、70にしています。
だからガン宣告を受けても実は50。
真っ暗で見えていないだけ。
私の母は・・・
すい臓ガンで56歳の若さでこの世を去りました。
当時は別居していたので、家と実家の往復で看病していました。
看病に行った嫁が、こんなことを言うんです。
暑い夏、体がきついから冷やしたくないと嫁に「ごめんね」と言ってクーラーをつけない母。
嫁も承知で看病をしていたときに、息子の私が「大丈夫か?」って仕事終わりについた。
「大丈夫よ」って突っ伏した体をゆっくり起こしてクーラーのスイッチをつけた。
他の日、今日は調子が悪いと寝ていた。
ずっとコリコリのほぐれない背中を押し込むようにマッサージしていた嫁。
私が着くとゆっくりと起き上がり、台所へ向かった。
「淳ちゃん(嫁)牛乳と缶とって」
痩せ細った枝ような両腕で鍋をようやく持ち上げてガスコンロにおいた。
母はコーンスープを作り始めた。
子供の頃から母のコーンスープが大好きで作ってもらうと喜んで食べていた。
そのコーンスープが出来上がると満面の笑みで私に皿を震わせて渡した。
ある日、限界がきた。
私の横で寝ている母が、「アイスコーヒー飲む?」と聞く。
「ああ、ちょうだい」
いつもよりさらにスローにのっしっと立ち上がり台所へ。
慣れた手つきで砂糖をまぜながら私に持ってきた。
「うまいっ」
それを聞いた母がそのまま受話器を取り、病院に連絡をした。
「もう限界なので戻ります」
母のアイスコーヒーは砂糖が多い。
甘い甘いアイスコーヒー。冬はカフェオレにしてくれる。
中学、高校、社会人と結婚して出ていくまで、毎朝かかさず出たコーヒーがこれだ。
最後にふさわしいものだった。
全部、知っていた。だけどあえて言わずに甘えた。
きついのは嫁から全部、聞いていた。
それは母にとって私に残された時間で何かしてあげることが、間違いない幸せ50だったことを
知っていたからだ。
母は病気でも母。
私は息子。変わらない。
病院に戻り1週間後、友人の結婚式で母のところに行けない日があった。
いつ逝ってもおかしくない状態だった。
2次会のときに嫁から5回目の電話がきた。
「あなたを待ってる。帰ってきて」
すすり泣きながら私に訴えるように言った。
もどって次の日、朝。
看護婦さんから「意識は戻りません。反応もないですが声は聞こえていますので声をかけてあげてください」
私が声をかけた。
「おふくろ、かえってきたよ~」
反応をしないはずの母の目がピクっと動き、次の瞬間、起き上がった。
起きて私を見つけると手を出した。
その手をそっと握ると母は何度も私に頭を下げた。
瞳孔は開きっぱなしだったので、話すことはなかったが私の声は届いてしまった。
嫁がぐちゃぐちゃの顔で「ねっ待ってたでしょ。ひっくひっく」
「俺、めちゃめちゃ、愛されてるなぁ、もう終わりかぁ」
最後は私にみとられて、安らかに逝った。
やっぱり50対50・・・
ガンになってもではなく、ガンになったからこの幸せを母は最後に感じて逝けた。
母は幸せだった。
いつも私が帰ってくるのを楽しみにして闘病中は料理を作った。
「お前にひとつでも多く、おいしいものを食べさせてあげる」
笑顔で話す母の顔をいまだに忘れていない。
母はガン宣告を受けて下を向かなかった。いや向いたかもしれない。
ただやるべきことは決まっていた。
がん50を引き受けて、息子との時間50で生き抜いた。
のちに50対50の法則を知るわけですが、この経験があるから腑に落ちています。
解決すべき問題というのは、自分の心がどうしても我慢できなくて60、70になっているのなら
とりあえず、解決してみてください。
そこから変わらないということに気がついたら、私においしいコーンスープを作ってください(笑)
ありがとうございました。
関連記事・・・「誰かが受け持つ」
例えばがんの宣告を受けた人は100対0。
交通事故も100対0。
普通に働くサラリーマンのあなたでも80対20で生きている。
この20の幸せが金、土の居酒屋と言ったところでしょうか?
ここから家族の問題をかかえる人はもう大変。
120対0・・・・もう法則もくそもない。
私の会社には、苦しみ5000じゃないかという人もいます(笑)
この50から上。
60、70、80の部分が霧。
本当はすぐそばにある幸せ50が見えていない状態です。
俺は幸せ10しかない・・・こんな人に「50、ほら50あるよ」っていうのが私です。
超バランス・・・
どうして苦しみ50なのか?
簡単に言えば、カミナリに打たれないように上ばかり気にしていたら、穴に落ちた。
つまずかないように下を見て歩いていたら目の前の電柱にぶつかった。
もうどうあがいても無理。どう気をつけてもこうなってしまう。
人の場合だと嫁のお母さんに文句を言われた。
何とかしたいと嫁のお母さんの問題を解決する。
簡単に言えば、あなたは嫁のお母さんから100点を取った。
そうすると今まで100点をもらっていたはずの嫁のお父さんが、今のお前は60点だから40点補えと
新しく文句言う。
今度あなたはお父さん、お母さんから100点取るために頑張り100点取った。
これで解決かと思ったら、嫁から「私と両親どっちが大切なの?」・・・なんてことになる。
嫁から30点と言われたので、点数を稼いでいると上司から「最近やる気ないぞ」とくる。
友人からは「自分のことしか考えてない」と言われたりする。
全員から100点を取ることが無理なのに取れないことに悩む。
幸せ100を目指すけど、そうならないじゃいかと苦しむのです。
無理!
だから50を引き受ける。
そうするとちょうどいい。
この悩みでいいやとする。
これを解決しても同じような問題が出るならば、今のこの問題、この苦しみでいい。
これを50として引き受けましょう。
解決をあきらめよう
また書いてしまいました。解決するなって(冷や汗)
私の場合ですと嫁と仲良くいたい。
子供とも愛し愛されという関係がいい。
野球も楽しくやりたい。
だから会社でなにか問題があることは、それをOKとしています。
上司、部下の間でいろいろなストレスがあっても、それはOK。
出荷対応で追われて怒られても、ここを50として引き受けています。
幸せは不幸せがないと存在しない・・・
のどがカラカラになるからコーラがうまい。
毎日、小さな浴槽の風呂に入っているから年1回の温泉が気持ちいい。
仕事をしたから、そのあとのビールがうまい。
練習を重ねたから勝利が嬉しい。
必ずバランス。ここが平行なんです。
もっといきます。
幸せもやがて不幸せに変わる。
ビールの1杯目が幸せで、これが3杯、4杯、5杯、6杯となれば気持ち悪くなる。
スイーツを口にして幸せだった。これがずっと続けば苦しみです。甘いものは見たくないとなる。
布団に入って幸せ。そこから寝すぎて睡眠15時間になったら体が痛くて不幸せ。
あんなに疲れて横になりたいと言って横になったのに、それがつらいから起きたいとなる。
わかりますか?
苦しみは引き受けていいのです。
といよりは、必ずあると考えてください。
これでもう大丈夫。悩みはなくなったと思っていても何もない状態が苦しみになる。
50以上で引き受けない・・・
実際は50しかありません。
私たちは心で勝手に60、70にしています。
だからガン宣告を受けても実は50。
真っ暗で見えていないだけ。
私の母は・・・
すい臓ガンで56歳の若さでこの世を去りました。
当時は別居していたので、家と実家の往復で看病していました。
看病に行った嫁が、こんなことを言うんです。
暑い夏、体がきついから冷やしたくないと嫁に「ごめんね」と言ってクーラーをつけない母。
嫁も承知で看病をしていたときに、息子の私が「大丈夫か?」って仕事終わりについた。
「大丈夫よ」って突っ伏した体をゆっくり起こしてクーラーのスイッチをつけた。
他の日、今日は調子が悪いと寝ていた。
ずっとコリコリのほぐれない背中を押し込むようにマッサージしていた嫁。
私が着くとゆっくりと起き上がり、台所へ向かった。
「淳ちゃん(嫁)牛乳と缶とって」
痩せ細った枝ような両腕で鍋をようやく持ち上げてガスコンロにおいた。
母はコーンスープを作り始めた。
子供の頃から母のコーンスープが大好きで作ってもらうと喜んで食べていた。
そのコーンスープが出来上がると満面の笑みで私に皿を震わせて渡した。
ある日、限界がきた。
私の横で寝ている母が、「アイスコーヒー飲む?」と聞く。
「ああ、ちょうだい」
いつもよりさらにスローにのっしっと立ち上がり台所へ。
慣れた手つきで砂糖をまぜながら私に持ってきた。
「うまいっ」
それを聞いた母がそのまま受話器を取り、病院に連絡をした。
「もう限界なので戻ります」
母のアイスコーヒーは砂糖が多い。
甘い甘いアイスコーヒー。冬はカフェオレにしてくれる。
中学、高校、社会人と結婚して出ていくまで、毎朝かかさず出たコーヒーがこれだ。
最後にふさわしいものだった。
全部、知っていた。だけどあえて言わずに甘えた。
きついのは嫁から全部、聞いていた。
それは母にとって私に残された時間で何かしてあげることが、間違いない幸せ50だったことを
知っていたからだ。
母は病気でも母。
私は息子。変わらない。
病院に戻り1週間後、友人の結婚式で母のところに行けない日があった。
いつ逝ってもおかしくない状態だった。
2次会のときに嫁から5回目の電話がきた。
「あなたを待ってる。帰ってきて」
すすり泣きながら私に訴えるように言った。
もどって次の日、朝。
看護婦さんから「意識は戻りません。反応もないですが声は聞こえていますので声をかけてあげてください」
私が声をかけた。
「おふくろ、かえってきたよ~」
反応をしないはずの母の目がピクっと動き、次の瞬間、起き上がった。
起きて私を見つけると手を出した。
その手をそっと握ると母は何度も私に頭を下げた。
瞳孔は開きっぱなしだったので、話すことはなかったが私の声は届いてしまった。
嫁がぐちゃぐちゃの顔で「ねっ待ってたでしょ。ひっくひっく」
「俺、めちゃめちゃ、愛されてるなぁ、もう終わりかぁ」
最後は私にみとられて、安らかに逝った。
やっぱり50対50・・・
ガンになってもではなく、ガンになったからこの幸せを母は最後に感じて逝けた。
母は幸せだった。
いつも私が帰ってくるのを楽しみにして闘病中は料理を作った。
「お前にひとつでも多く、おいしいものを食べさせてあげる」
笑顔で話す母の顔をいまだに忘れていない。
母はガン宣告を受けて下を向かなかった。いや向いたかもしれない。
ただやるべきことは決まっていた。
がん50を引き受けて、息子との時間50で生き抜いた。
のちに50対50の法則を知るわけですが、この経験があるから腑に落ちています。
解決すべき問題というのは、自分の心がどうしても我慢できなくて60、70になっているのなら
とりあえず、解決してみてください。
そこから変わらないということに気がついたら、私においしいコーンスープを作ってください(笑)
ありがとうございました。
関連記事・・・「誰かが受け持つ」