2014
Feb
19
8
俺はやっているのにどうして・・・
俺はすごくやってるのに、相手はどうしてやってくれないんでしょう?
投げかけたものが返ってくるんじゃないですか?
ほとんどの人が気がついていない。
投げかけたものが、返って来ていることに。
例えば掃除をしたとする・・・・・
投げかけたものが返ってくるんじゃないですか?
ほとんどの人が気がついていない。
投げかけたものが、返って来ていることに。
例えば掃除をしたとする・・・・・
その掃除が相手にとって0点の掃除ならば、あなたは掃除をやっていない。
携帯の充電器・・・
3か月ぐらい前から、嫁が持ち運びができる充電器が欲しいと言ったので買ってきた。
それがダメな物だった。
次はちょっと高い物を買っていった。
それもあまり充電してくれない。
このとき嫁が「高くてもドコモの純正の持ち運びできる充電器がいい」と話していた。
私はもったいないと思い、市販の物で今度こそ、これなら大丈夫ってものを買っていった。
喜ぶだろうな~って思っていた。
反応がない。
そうです。
ドコモの市販の物ならば100点で私は今回も0点だった。
もったいないと思ったのは私の勝手な価値観であって嫁とは違う。
私たちは今目の前の人が100点と言う解答を出さなければ、よくやってると評価されないことに気がついておくべきです。
いつだって俺はこう思うになる・・・
掃除の例はおもしろい。
後輩の話です。
もう少し隅々までやってほしいと言われた。
「そんなに出来ないから、文句を言うなら掃除はしない」
それは困るからやって欲しい。
「じゃあ、文句は言うな」
でも・・・
これで俺はやっているのにどうすればっていうわけです。
私は隅々まで掃除をしなさいと言いました。
あなたのやってるは、彼女にとってやってるにならなければ、何の意味もない。
居酒屋で話の合う仲間をつかまえて、本当にわがままだと意気投合しても何も解決にはならないんです。
奥さん限らずですが人それぞれ価値観がある。
合ってる間違ってるではなく、目の前の人にとって愛と感じること。
目の前の人にとって、やさしさだと感じること。
目の前の人にとって、ありがとうと感じることをした結果、投げかけたものが返ってくる。
だから正解がないんです。
ケーキが嫌いな人にケーキをプレゼントしてもダメ。
ケーキが好きな人にケーキをプレゼントするんです。
その中でもチョコレートケーキだったらダメだったりする。
もっと言えば今日はチーズケーキって気分だったら、チーズケーキ以外は不正解。
そのとき、そのタイミング、その人だけのOKがある。
一般論なんて、何の役にも立たないんです。
目の前の人が何を思うか真剣に見ないと、俺はやってるのにと言う無駄口を話すことになる。
あなたが愛を投げたつもりで、トマトが嫌いな人にトマトを挟んだサンドイッチを作ってあげても、愛は返ってきません。
投げるボールは合っているか?
相手にとってそれは取りやすいか?
相手にとってそれは投げて欲しいボールなのか?
すべては相手を理解することから始まる。
私たちの対立は・・・
相手を理解しないから起きます。
相手のことがわからないと対立するより、相手のことをわかろうとした方がいい。
なぜこんなことを言うのか?
どうしてこんな行動をとるのか?
おかしいでしょって誰かに同意を求めて、かわいそうだなって言われることで楽になるより、学んで理解に努めた方がいい。
自分の行動は本当に100点取っているのか。
すべてがあなたにちょうどいい。
目の前の人があなたに愛をくれないのならば、あなたが愛を与えていないからです。
これは一般論でこれは愛でしょ?ではありません。
目の前のその人にとって、これは愛ですと言えるものをあげなければいけない。
欲しいものはこうやって手に入るのです。
自分の価値観ではなく相手の表面でもない。
相手の裏側を見るようにすることです。
それぐらい真剣に見てあげなければ、あなたのやってるはただの自己満足です。
意味がないのでやめましょう。
やめれないなら、なにが足りないか相手に聞き100点を取りましょう。
ありがとうございました。