2014
May
02
5
比率10対1なのに、なぜかあなたは1に翻弄される。
ユダヤの教えにこんな言葉があります。
10人の人がいたらそのうちの1人は、どんなことがあってもあなたを批判する。
10人のうち2人は互いに尊敬をし受け入れ合う親友になる。
他7人はどちらでもない人たちだ。
あなたは全員に好かれようとする。
あなたは全員から賛成をもらいたいばかりに、たった1人の批判する人にフォーカスしてあらゆる手段を用いて納得させようと努力しているんです。
そのあなたたちの議論ですが、70%の人間はどうでもいいと思ってます(笑)
あなたが涙目になって顔真っ赤にして語る演説をものすごい冷めた目で見ていて、あなたがいなくなったと同時に「あいつら死ぬまでやってんだろうな」って笑われている
とても残念な例です・・・・・・
私にもあったんですよ。
合わないリーダーがいて、いつも口論していた。
まわりで聞いていた人の陰口を運よく聞くことができました。
「だめだ、あいつら。どっちかが大人にならねえと終わんねえよ」
あとで勉強してわかることですが、陰口を伝える人はその人も同じことを思っているから、あなたに伝えています。
もしもそう思ってないとしたら、その場で「あいつはそんな奴じゃない」ってフォローしてくれるはずです。
自分が言うとめんどくさいから、人を使って「言っていたぞ」と告げ口をしています。
話がそれました。
それを聞いて思ったんです。
みんな内容なんて聞いていない。
ただ同レベルってしか思っていないのだ。やめよう。
そして私は最後、そのリーダーから離れる時に謝った。
今では良き仕事のパートナーになっていることは言うまでもありません。
実は負けた方がかっこいい・・・
言い争って、むきになるより「今回はすいませんでした」と言える人間の方が70%の人たちは、やっぱり器がでかいなって思うんです。
どう見たって小競り合いで、どうでもいいって思ってるんです。
それを早い段階で終わらせた凄い人になってしまう。
さらに効果は上がります。
争っていた敵まで、屈服させたという優越感にひたり、もう敵ではなくなるのです。
この瞬間から、自分に力を貸してくれる人に変わります。
「俺も言い過ぎたよ。次からはもう少し冷静に話をしよう」となります。
やったこと10のうち1の批判は許容範囲です・・・
はい、そうですかと言って流していい。
解決すべきことでもない。
自分の思いや気持ちを批判する人間に使うほど無駄なことはないんです。
あなたはもっと前に進むべき人。
立ち止まる時間は無駄に作るべきではない。
あなたにちょうどいい人に囲まれるって言ったでしょ?
その人が嫌なら論破することや納得させることはいらないんです。
手の届かないところまで、あなたが登ってしまえばそれで終わりです。
彼が私をなんで批判するのか?
もっと言えば、なぜ彼が今、私の目の前にいるのか?
わかってないから狂わされている。
わからない自分。
知らない自分を責めた方がいい。
知っているとどうなるか?・・・
例えば雲を見ただけで、もうすぐ雨が降るかわかる人がいる。
この人は確実に洗濯物を濡らさないでしょう。
スーパーで安売りする順番を見つけちゃった奥さんは、あと1週間でキットカットが安売りするから待ちましょうってなる。
ディズニーランドは逆回りした方が、すいていて色々な物に並ばなくてすむってのも知識。
知らない人よりは、円滑に人生を楽しめるわけです。
知らないから苦しむ。知っていればいい。
ひとりの批判者を相手にするな。
そこに視点を向けちゃうと大事にしなきゃいけない人のことを忘れちゃうよ。
それをさらりとかわして、7人をうならせる人格を持とう。
今日の知識。
10対1の比率であなたのやってることを違うと言う人がいることをあなたが知っていればいい。
10が大きくなればなるほど、あなたは1に目を向けたくなる。
その1を聞いたときに、逆上しない人間力を問われています。
「ふざけんな、お前らに何がわかるんだ」
この瞬間、あなたの底を見られたわけです。
こいつ、こんなもんか?って(笑)
キレたら負け。
議論したら負け。
器の大きい人は、もちろん底も見えないのです。
ありがとうございました。