2014
Jul
11
1
あなたにとっては、何もない普通の1日だったかもしれないけど・・・
7月11日。
あなたにとっては、何もない普通の1日。
私にとっては少し意味がある7月11日。
父の命日です。
2年前の朝8時に私の携帯が鳴った。
とうとう来たか。
知らない番号だけど病院からだとわかっていた・・・・・・
あなたにとっては、何もない普通の1日。
私にとっては少し意味がある7月11日。
父の命日です。
2年前の朝8時に私の携帯が鳴った。
とうとう来たか。
知らない番号だけど病院からだとわかっていた・・・・・・
緊急で運ばれて、2週間の入院。
寝たきりで目を覚ますことなく逝った。
帰ってこない気がしていた。
手術の前、「最悪、亡くなることも覚悟してください」と医者に言われていた。
手術の前に面会が出来る。
その面会の時に父が発した言葉。
「緊張するなぁ、大丈夫かなぁ」
それはそれはやさしい声で穏やかだった。
プライドが高くて厳格で、気が強い父なのに、そこには穏やかな、やさしさに包まれた父がいた。
この瞬間、もう帰ってこない気がした。
悟ったら終了だから。
苦しみの人間をやる必要がない。
赤ちゃんは悟っています。
そこから自我を親から植え付けられて、常識という価値観を持つようになる。
ほんとうは常識なんてものもない。
未成年がなぜグレるか?
正義があって負けたからです。
自分の正義があって親の正義とぶつかる。
先生の正義とぶつかる。
それで負けたからヤンキーになっただけ。
逆らって中指立てて、自由ってなんだって問いかける。
縛り付ける大人が大嫌いってなるわけ。
自我が植え付けられて、これが常識であり俺の正義だってものを持つ。
悟りってそんなものはないって気がつく旅。
気がついたら終了。
赤ちゃんに対して、「自我でこれから苦しむなら最初から、ないようにしてあげればいいじゃないですか?」と阿部敏郎さんと雲黒斎さんに質問した人がいました。
そしたら2人とも声をそろえて「そしたら生まれてくる必要がないです」と一言でした。
そんな話を聞いていたせいか、父の穏やかさ、あったかさは、「もうわかったんだね」ってこと。
だから戻ってこない。
私は答えた。
「あぁ大丈夫だよ、また会おう(来世で)」
人間には2回目の死がある・・・
1回目は肉体から離れる死。
2回目が人の記憶から無くなったときだそうです。
この2回目が来ないような生き方をすればいいと言われています。
坂本竜馬はいまだ生きている。
心に残れば死は死ではない。
思い出になってずっと生き続けるのです。
何も手に入れる必要がない。
どうせ手に入れても、あの世には何も持っていけないから。
思い出を買おう。
思い出にお金を使い、思い出を手にいれよう。
手に入れた物は、たとえどんな高級車でも、どんな大豪邸でも、どんなに綺麗な指輪でも色あせる。
だんだん、その感動は薄れて行く。
だけど思い出は違う。
記憶は時間が立つにつれて、キラキラと輝くんだよ。
父とはよく喧嘩をした。
憎たらしい思い出は何も残っていない。
ただ愛された。
それは1年前より、2年たつ今の方が大きくなる。
子供への思い・・・
先輩が子供が生まれたって嬉しそうに話していた。
「いや、本当に感動してさ、涙が止まらなくて。こんなに嬉しいんだな」
私は一言だけ返した。
「自分もそんな風に思われて生まれて来たんですよ」
先輩はそれを聞いて、また泣いちゃってた(笑)
きっと自分が生まれたときだって親父、泣きじゃくって喜んだに違いない。
こんなに祝福されて生まれたんだと、その時になって初めてわかる。
娘のバスケットの応援を本気でやってる火の玉ですが、そんなときも同時に父を思い出すんです。
俺の野球もこんな気持ちで応援されてたんだな。
もっとがんばればよかったな。
自分の期待を遥かに超える本気の応援をされていたと親になって知るんですよ。
いちいち色んな場面で「俺、愛されたな」って。
買ってもらったものは、なにひとつ覚えちゃいないけど、記憶に残っていることは輝きを増していく。
どうやら人間の心はそうやって作られたらしい。
ともに笑い、ともに喜び、ともに泣く。
手元に残るものは、そんなにいらないようです。
人は人とつながることで幸せ。
7月11日は、私にとって毎年「愛だぜ!愛」ってことを確認する大切な日なんです。
ありがとうございました。
寝たきりで目を覚ますことなく逝った。
帰ってこない気がしていた。
手術の前、「最悪、亡くなることも覚悟してください」と医者に言われていた。
手術の前に面会が出来る。
その面会の時に父が発した言葉。
「緊張するなぁ、大丈夫かなぁ」
それはそれはやさしい声で穏やかだった。
プライドが高くて厳格で、気が強い父なのに、そこには穏やかな、やさしさに包まれた父がいた。
この瞬間、もう帰ってこない気がした。
悟ったら終了だから。
苦しみの人間をやる必要がない。
赤ちゃんは悟っています。
そこから自我を親から植え付けられて、常識という価値観を持つようになる。
ほんとうは常識なんてものもない。
未成年がなぜグレるか?
正義があって負けたからです。
自分の正義があって親の正義とぶつかる。
先生の正義とぶつかる。
それで負けたからヤンキーになっただけ。
逆らって中指立てて、自由ってなんだって問いかける。
縛り付ける大人が大嫌いってなるわけ。
自我が植え付けられて、これが常識であり俺の正義だってものを持つ。
悟りってそんなものはないって気がつく旅。
気がついたら終了。
赤ちゃんに対して、「自我でこれから苦しむなら最初から、ないようにしてあげればいいじゃないですか?」と阿部敏郎さんと雲黒斎さんに質問した人がいました。
そしたら2人とも声をそろえて「そしたら生まれてくる必要がないです」と一言でした。
そんな話を聞いていたせいか、父の穏やかさ、あったかさは、「もうわかったんだね」ってこと。
だから戻ってこない。
私は答えた。
「あぁ大丈夫だよ、また会おう(来世で)」
人間には2回目の死がある・・・
1回目は肉体から離れる死。
2回目が人の記憶から無くなったときだそうです。
この2回目が来ないような生き方をすればいいと言われています。
坂本竜馬はいまだ生きている。
心に残れば死は死ではない。
思い出になってずっと生き続けるのです。
何も手に入れる必要がない。
どうせ手に入れても、あの世には何も持っていけないから。
思い出を買おう。
思い出にお金を使い、思い出を手にいれよう。
手に入れた物は、たとえどんな高級車でも、どんな大豪邸でも、どんなに綺麗な指輪でも色あせる。
だんだん、その感動は薄れて行く。
だけど思い出は違う。
記憶は時間が立つにつれて、キラキラと輝くんだよ。
父とはよく喧嘩をした。
憎たらしい思い出は何も残っていない。
ただ愛された。
それは1年前より、2年たつ今の方が大きくなる。
子供への思い・・・
先輩が子供が生まれたって嬉しそうに話していた。
「いや、本当に感動してさ、涙が止まらなくて。こんなに嬉しいんだな」
私は一言だけ返した。
「自分もそんな風に思われて生まれて来たんですよ」
先輩はそれを聞いて、また泣いちゃってた(笑)
きっと自分が生まれたときだって親父、泣きじゃくって喜んだに違いない。
こんなに祝福されて生まれたんだと、その時になって初めてわかる。
娘のバスケットの応援を本気でやってる火の玉ですが、そんなときも同時に父を思い出すんです。
俺の野球もこんな気持ちで応援されてたんだな。
もっとがんばればよかったな。
自分の期待を遥かに超える本気の応援をされていたと親になって知るんですよ。
いちいち色んな場面で「俺、愛されたな」って。
買ってもらったものは、なにひとつ覚えちゃいないけど、記憶に残っていることは輝きを増していく。
どうやら人間の心はそうやって作られたらしい。
ともに笑い、ともに喜び、ともに泣く。
手元に残るものは、そんなにいらないようです。
人は人とつながることで幸せ。
7月11日は、私にとって毎年「愛だぜ!愛」ってことを確認する大切な日なんです。
ありがとうございました。